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NPB最多勝利数 400勝 金田正一 MLB最多勝利数 511勝 サイ・ヤングが日米の公式記録として掲載されています。
ですが、正確な勝利数は確認されていませんが、2000勝したと言われているアフリカ系の伝説の投手がいます。

サチェル・ペイジの生い立ち

1906年 アラバマ州モービルで12人兄弟の7番目として、貧しい家庭に生まれました。

サチェル・ペイジのサチェルは愛称で本名はリロイ・ロバート・ペイジ。

愛称の由来は諸説あるようですが、幼少時代に荷物運びの仕事をしていて、長い棒に幾つもの荷物をかけて運んでいる姿が、ショルダーバックをぶら下げておくハンガー見たいだと友人から言われたことから、そのハンガーの名称サッチェル・ツリーをもじってサチェルと言われたのが有力とされています。

少年期は、素行が良くなく窃盗を繰り返していて、矯正もかねて実業学校に入学させられました。

そこで、エドワード・バードコーチに出会い、投球技術を身に着けていったようです。

1923年に 兄が所属していたモービル・タイガース(セミプロチーム)入団しています。

サチェル・ペイジの二グロ(黒人)リーグ時代

サチェル・ペイジの投球フォームは、オーバースロー・サイドスロー・アンダースローとどのフォームでも投げる事が出来、抜群のコントロールと当時最速と言われた、ボブ・フェラーよりも早い速球を投げていました。

当時のエピソードとしてボブ・フェラーが「サチェルの投げるボールがファストボールなら、俺の投げるボールはチェンジアップだ」と発言しています。

当時は、球速の計測が困難でしたので正確ではありませんが、関係者の間では、ボブ・フェラーの球速は170km/hは超えていた証言しています。

サチェル・ペイジとノーラン・ライアンの両者のボールを鵜片言がある捕手は、サチェル・ペイジの球速は180km/hに近かったのではないかとコメントしています。

また、ベースの上にタバコの箱を置いて、その上を通す抜群のコントロールも併せ持っていたようです。

伝説の域を脱しませんが、全打者を三振で仕留めたとか、「今から9人連続三振を取る」と宣言して達成したり、最終回にわざと四球で満塁にして野手をベンチに全員引き上げさせ、打者と対峙したなどの逸話もあります。

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1930年には、メジャーリーグとの交流戦で、22奪三振で完封勝利を収めています。

当時のメジャーリーグのスーパースターのベーブ・ルースとの対戦はありませんでした。

サチェル・ペイジは対戦を望んでいたようですが、望み叶わず晩年になって残念がっていたそうです。

一方のベーブ・ルースは、ベンチからサチェル・ペイジの投球を見て、青ざめていたとの証言が複数上がっていたと言われています。

二グロ(黒人)リーグでも成績は約2500試合に登板して、2000勝以上をあげ、完封勝利は350以上、ノーヒットノーラン55試合以上などとても信じられない成績を残したと言われています。

二グロ(黒人)リーグの正確な資料が残っていないので、何処までが本当なのかは定かではありませんが一説には、中南米のチームとの交流戦の成績も含まれるのではないかとも言われています。

サチェル・ペイジのメジャーリーグ時代

1947年黒人初のメジャーリーガー ジャッキー・ロビンソンがブルックリン・ドジャースと契約して、有色人種のメジャーリーガーの道が開けましたが、サチェル・ペイジは、その時40歳を超えていました。
ですが、翌年、シーズン途中にクリーブランド・インディアンスに入団し、42歳の史上最高齢の新人投手として6勝をあげました。

メジャー通算成績は、28勝31敗、防御率3.29ですが、1952年には、12勝10敗の成績を残しオールスターゲームにも出場しています。

1965年には1試合だけの契約で、カンザス・アスレチックス契約してメジャー最後の登板をしています。
サチェル・ペイジ 59歳 先発して3回を投げ無失点で降板、勝敗は着きませんでしたが、現在でも、史上最高齢の登板記録は破られていません。

まとめ

サチェル・ペイジと言う投手は正確な記録が残っていない為に伝説の投手と言われてきています。

ですが、現代の様な管理されたベースボールの時代ではなかった時代は、お客さんが入れば何でもありの時代だったと思います。

サチェル・ペイジが投げれば、試合に勝てて、お客さんも入るとなれば、連日でも投げさせた可能性があります。

そして、連勝したのでしょう。

ですから、伝説的な成績が現在も語り継がれているのだと思います。

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